私がタイの島に来た理由。

20代というのは世界の何もかもが不思議でいろんな感動や経験も手にしたくて、お金も欲しくてファッション好きでパワー有り余る年頃であったと思います。 きっとみんなそのような経験があるのではないでしょうか。

【私もそういう若者の1人でした。】

私は人よりも働きだした時期も早く、学生生活をそれほど大切だと思わずに過ごしてきた一面がありました。中学生位の思春期の頃 は周りに沢山迷惑をかけたりして、高校も中退していますし、”早く社会に出たい”という一心であった反面、大学や何かで”卒業旅行”などといった時間を持って、旅行に行く人たちが心の底ではとてもうらやましかったのを覚えています。 当時は手に職をつければ人生何とかなると思っていた部分があり、人に認められるまではどこにも行けないと言う決まりを自分の中で作っていました。https://miuzukikui.com/wp/wp-content/uploads/2019/11/img_2840.mov

それでも、旅に出るという事は人生においてとても大切なことだと若い頃からずっと考えてきていたし、最初にバックパッカーとして東南アジアに出ることに決めた時も何の躊躇もなく出てきたと思います。 もちろん勇気はすごく必要だったけれど、それ以上に好奇心が働いて、やっと人生のちょっとしたポイントに来ることができたのだと言う感無量の気持ちで旅に出たことを今でも忘れません。
一人暮らしを謳歌していた20代。

私もいつか、南の島とかに行ってゆっくり過ごせたらいいなくらいに思っていた、そんな一人でした。

最初に東南アジアに来たのはカンボジアで、当時ミクシーというSNSツールのコミュニティ”女一人旅”で知り合った大学生の女の子にくっついてカンボジアに行ったことが始まりです。彼女は大学のサークルでカンボジアの子供たちに手を差し伸べる..系の活動をしていて、その子にカンボジアの孤児院や全体の話を聞いて、深く同感し私もボランティアに興味を持ったことが始まり。2週間程のカンボジア滞在の後、その後帰国し、再度東京の家と仕事を全て引き払い”1年間は日本に帰らない”と言う期限を自分につけて旅にでました。

“majime?”まじめって?!

タイ、カンボジア、ラオス周辺をぐるりと陸路で回った後に当時の予定では一度カンボジアに戻り、移動を作る作業を手伝うというボランティアに参加予定だったのですが、その前に人生はじめての南の島に行ってみたくなり、初めての南の島はタイのパンガン島という小さな島でゆっくり過ごすと言うパタンに落ち着いたわけです。そして、恥ずかしいのですがそこでここ最近事実婚した今の夫と出会い、1年間旅に出てヨーロッパへ行くという予定が変わりまして、タイという地にご縁ができ、2007年から現在までこの辺をウロウロしていると言う有様です。

パンガン島といえば、フルムーンパーティーが有名な島ですが当時はフルムーンパーティー以外に3日に1度どこかでパーティーがあると言う若者にはたまらない島でありました。(今でもそうなのかな…)私はこの時人生で1番何もせずに目標もなくだらだらと過ごした時期でありました。またそれと同時に、いつかのブログにも書いたかと思いますが、今の夫にちょっとしたアクセサリーの作り方を教えてもらい、毎日励んだことをよく覚えています。

当時の私は東京で最終的にお店をオープンし、それを閉めて海外に出てきたと言う今思えば無茶苦茶な決断だったと思います。一人旅では最終的にロンドンへ仕事を絡めて行くと言うのが目標でしたが、旅に出てあっさりと世界一周の夢も挫折し、タイの島でゆっくりすると言うなんとも予定外の人生ですがこれはこれで今となればよかったのかなとも思います。何故かと言うと、先にも述べました通り私は人生、成り上がりであり、20代前半は今で言う体育会系のスーパーブラック企業に勤めていたと思います。どのぐらい凄いかと言うと当時終電乗り遅れることもしょっちゅうあり、銀座から住んでいた中目黒まで歩いて帰ったことが何度かあるような感じ。

(※そこから自分で起業するまでの話もそのうちこのブログに書き記したいと思います笑)

とにかく、社会に反発し、日本にいることが嫌になった当時は早く環境を変えたくて、自分の見たことのない感じたことのないところで自分の感性を磨くしかないと思っていたのでした。

そんなわけで、2007年4月に日本を飛び出し、1人旅の疲れ、タイの島に流れ着いた危ない日本人女子の1人でした。

そこから何度かタイと日本往復したりするのですが、住みたいのがなんせタイの島であり、現地採用などあるわけない場所。

得意のヘアカットも国自体で外国人がその仕事に従事することが禁止されているため、自力で仕事を転職するしかない事態に追い込まれました。

といっても、会社員として都内で美容室に勤めたのは3年弱ぐらい、後はすべてフリーランス扱い。昔から自力で仕事をとってくることに何の違和感もなかった為、何かをしなければいけないと言うフットワークの軽さは柔軟だったと思います。そして、それをきっかけに自分がずっと憧れていたものづくりとデザインと天然石を掛け合わせたジュエリー作りに入り込めたことは私の中ではピンチをチャンスにしたことでもあると今になって思います。

やることが少し違うだけで、人に喜んでもらって仕事をする、デザインする、ものづくり..と言う意味ではずっと培って、見てきたものが生かされてきたなと今となっては世の中に感謝せずにはいられないです。 都会的では無いですが、心のどこかで都会的なライフスタイルには限りがあると思っていたことも事実であり、健康的に生きると言う部分に的を絞った場合、私の場合は田舎暮らしが身の丈にも合っているなと今更ながらに想う今日この頃です。

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